アメリカ生活ブログ

アメリカ在住リノの海外留学・海外生活情報ブログ

アメリカ生活ブログ管理人リノのプロフィール

初めまして!

アメリカ生活ブログに来ていただいてありがとうございます。

こちらでは私について少し書かせていただきます。

 

こちら、全くフツー人の私のプロフィールとなっておりますが、

*裕福生活から母子家庭へ

*バレーボールとの出会い

*日本のナースのお仕事

*英語が話せないままでアメリカ留学

*スポーツ医学とアメリカでナース

*アメリカ人と国際結婚

*海外で高齢妊娠と出産 x 2

*アメリカで子育て中

など、今まで色々やってきたので、共感してくださる方がいるかも?!

私の経験がどこかの誰かのお役に立てれば!

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

プロフィール

幼少期

北の大地出身。

自営業の家に生まれる。3人兄弟の真ん中。

この頃はちょっと裕福な感じで、お家には7段のお雛様もあったし、ピアノもありました。YOSHIKIさんも驚くかも!?

 

お雛様の前で。右側の黄色いズボンが私です。

f:id:EnjoyLife:20170520233412j:plain

 

しかし、そんな裕福な生活も長くは続かず。

私が8歳の時に両親が離婚。

姉と一緒に海の町から山の町へ引っ越しとなり、母子家庭となる。

ここから、”貧しい” っという言葉の意味を実体験を持って学習した時期。

一番下だった弟と離れ離れになったことが一番悔やまれる。

 

超優等生だった小学・中学時代

超がつくほど真面目な優等生。

勉強は田舎の学校だったのもあって、成績は常にトップクラス。

クラスの委員や生徒会会長などの役員もしました。

この頃の私は、

”リノちゃんはお父さんがいないから”

っと言われるのが嫌で、なんでも頑張っていた感が否めない。

 

子供が発する言動というのは、

時に鋭い剣のように胸にグサーっとくるんですよね。

 

バレーボールとの出会い

それは小学校高学年の時でした。

オリンピックで全日本女子バレーチームがメダルを獲得した試合をテレビて見て、

涙が出るほどの感動を受ける。

 

その後、中学ではバレーボール部に入部しようとするも、母の猛烈な反対に合う。

”お家のお手伝いが先でしょ!”

それに対して私はもちろん猛反発。思春期で反抗期真っ只中の私。

状況は全く改善することなく、バレー部への入部は叶わず、、、

モヤモヤ の毎日。

 

そこに助け船を出してくれたのが 

 

トップクラス成績を維持すること、お家のお手伝いを継続することっという条件付きでバレー部への入部許可がおり、3週間ほど遅れて入部となる。

(この姉、その後私の人生の転機で、色々助け舟を出してくれるのです。)

 

っということで、無事に入部できたバレー部。

中学時代は本当にバレーををするために毎日学校に行っていた感じ。(苦笑)

現在、その当時、天才セッターとして、名を馳せた中田久美さんが、全日本女子バレーの監督に就任されたので彼女のチームの東京オリンピックでの健闘を期待している私。

バレーボールと私。そして2020年の東京五輪。 - アメリカ生活ブログ

 

バレーボールは私の人生の苦しい時に明るい光を見せてくれました。

バレーボールをしていたことで、高校・社会人となっても友達ができたし、それはアメリカに留学しても同じでした。

 

思ってもみなかった高校の進学先

すっかりバレーボール漬けの中学時代。

高校は地元の高校にそのまま進学して、その後は就職、、、、っと考えていたのです。

しかし、その当時のクラスメートで、バレー部のキャプテンでもあった彼女から、

”学区外の衛生看護科のある高校に一緒に受験しないか?”っと誘われる。

えっ?!なにそれ? 

 

衛生看護科のえの字も知らなかった私ですが、中三のある日、クラスが自習になった時にいきなり彼女から相談される。彼女自身は以前から情報収集に励んでいたようで、私の質問に対してスイスイと答えが返ってくる。

そんな彼女との会話を通して、

”まーでも彼女と一緒なら受験してもいいかなー”っと思い承諾。

中三の夏に母が腰の手術をして入院していた時に、看護師さんたちを見ていたのもあったので、それもいい職業かな、っという印象はあったんですよ。

人の助けになれるかも、見たいな。

 

で、三者面談で先生にその学校に行きたい旨を告げ、寝耳に水の母は???でした。

まー成績も良かったので、学校推薦で面接のみで無事合格。

しかし

当の彼女は、結局地元の高校に進学して、私だけがその学校に行くこととなる。

”人生、何が起こるかわからない”

っというのを、若いながらに実感した瞬間でした。

 

高校・専門学校時代

看護系の高校へ進学した私。

高校時代と専門学校時代を通して、実家から離れて寮生活を5年。

 

初めての寮生活では先輩たちと同室。

学業的にも社会的にも多くを学んだ時期でした。

ちょっと寂しかったり、戸惑うこともたくさんあったけれど、この頃に

”同じ釜の飯を食べた仲間”っと言える友人たちに会えたことが宝物。

学校の成績は中の上。数学で人生唯一の赤点を取るも補習でなんとか進級する。

算数は好きだったけれど、数学は本当に好きじゃなかった。

 

もちろん高校でもバレーボールのために毎日学校に行っていた私。

しかし、高校2年の時、部活中にブロックをした後の着地で足首の捻挫・靭帯損傷。

1ヶ月のギプス・松葉杖生活を余儀なくされました。

バレーボールをまたしたいために頑張ってリハビリしましたが、やはり、私の足首は、怪我をする前と比べると ”弱い感” が抜けませんでした。

(結局は社会人になって、バレーボールをしている時にまた、同じ足首の靭帯を断裂し、のちに靭帯再建手術をしたのでした。)

 

このころにアメリカでは、アスリート専用のセラピスト(アスレティックトレーナー)がいるということを雑誌で知り、スポーツ医学についてやアメリカへの留学に憧れ、情報収取などをちょっとしたのでした。

 

しかし、看護も面白かったこと、また、お礼奉公(地元の町から奨学金を借りていたので、そのお返しに3年間の勤務が必要だった)もあったこともあり、そのまま専門学校にこれまた推薦入学にて進学し、その後、順調に正看護師の資格を取得。

救命で働きたい!っという強い願いがありましたが、お礼奉公の任務を果たすため、地元の病院に就職となる。

 

社会人時代

北の大地の病院

就職先の地元の病院には、学生の頃からアルバイトとして働いていたので、比較的スムーズに職場に馴染むことができました。

当時の職場のボスがとても優秀な人でたくさんのことを学びました。

新卒で、彼女の下で働けたことは本当にラッキー。

また同僚の看護師さんたちは皆、私よりも年上の方ばかりでしたが、かわいがってもらいましたし、たくさんのことを習いました。

 

私は、今までいいボスや同僚に恵まれてきたので、本当に感謝です。

 

唯一の悩みといえば、資格と経験の狭間で悩んだことかな。

まーそれは、もう自分が先輩たちに負けないだけの経験を積むことでしか解決できないことだったので、頑張りました。

そして、もっとたくさんの経験を積むため、また当初の”救命で働きたい!”の願いを叶えるために、北の大地から大都会東京の職場を探して無事 転職

 

ここでまた、

”なんで東京なんかに行かなくちゃいけないの?!地元でいい人と結婚して、、、”

っとチャチャを入れる母。

 

しかし、自分のしたいことを通しました。(笑)

 

大都会東京の救命救急センター

東京の某大学病院の救命救急センターで働けることになっった私。

 

しかし、自分で選んだ道でしたが、新しい職場ので仕事は大変でした。

1ヶ月で8キロ痩せて、同期入社の子に”大丈夫ですか?”っと心配されるほど。

まー、北の大地ではまん丸だったので、自分としては体重減はちょっと嬉しかった。

 

この時期はたくさん勉強をしました。

プリセプターさんが厳しくも、心に思いやりがある方だったのでたくさん学びました。

看護師国家試験の時よりもっと勉強しました。(苦笑)

 

救命救急センターに運ばれてくる患者さんのほとんどが救急車で搬送されてきます。

交通外傷、くも膜下出血やその他の頭部外傷、自殺未遂や薬物中毒、重度熱傷、多臓器不全、や重度感染症、その他、本当に多くの患者さんの看護とケアにあたる機会を得たのでした。

救命救急センター内では、必要であれば手術室の準備ができるのを待たずにすぐに開胸・開腹・開頭手術などの緊急手術や処置が始まりました。

 

今思うと本当によくやったなーと自分でも思いますし、そんな私を支えてくれたプリセプターさんや、同僚に感謝の気持ちでいっぱいです。 

とても忙しい職場でしたが、やりがいのある仕事でしたし、とても充実していました。

 

そういう忙しい時間をしばらく過ごしました。

そのうちに、その仕事にもだいぶ慣れ、シフトリーダーとしての役割もこなせるようになると、今度は自分が新人ナースの教育にかかわって行くっという日々も過ごしていました。他の人を指導するというのは、本当に難しことでしたし、自分が学ぶこともたくさんありました。

 

そしてある時、予想もしていなかったのですが、立て続けに、サンキューレターを3通、違う患者さんたちから頂いたんですよね。本当に突然に。

それらを読んだ時には、ちょっと目頭が熱くなりまして。ちょうど朝の申し送りの時だったのですが、もうちょっとで涙が落ちそうになるのをこらえるのが大変でした。

 

で、その時に思ったんですよね。

達成感というか、やりきった感があったんですよ。

”したかったことを、一通りやり通したな”っと自分で思った時が

フッと突然、現れたんですよ。

 

で、それで思ったんです。

次は アメリカ行かなくちゃ っと。

高校の時にしたかった、スポーツ医学を学びに行かなくちゃ!と。

 

英語ができないままアメリカへ留学、そして大学院卒業

英語は留学前に、ちょっと勉強はしていたんですが、話すことはほとんどできないままでした。

それでもビザの手続きなどは無事に終わり、アメリカの東海岸側の町にある語学学校へ留学。

英語はほとんど話せず、今思うと本当に無謀だったと思うのですが、、、。

語学学校

最初の1年間は語学学校に通いました。

アメリカの大学に進学する時に必要なTOEFL(Test of English as a Foreign Language)のスコアーをクリアーするためと、英語の全般的な能力を上げるためです。

世界各国からの留学生に会うことができ、自分が知らない国や文化について知ることができた貴重な時間でした。

大学進学に必要なスコアーも無事に取得でき、州立の大学に無事進学できました。

 

大学時代・大学院時代

大学はペンシルバニア州のD2の学校へ。

同じプログラムに日本人の留学生さんがいて心強かったです。

田舎にある大学でしたが、D2の中ではスポーツが比較的強く、何よりスポーツ医学のプログラムとその施設・設備が素晴らしかった。

10歳ほど若い同級生に囲まれ、みんなに助けられて無事に大学を卒業。

そして大学院はハワイへ!

こちらでも日本人の先輩や同級生に恵まれて、なんとか卒業。

その後、アメリカでアスレティックトレーナーとして働きはじめる。

また、アメリカのナースの資格にも挑戦し、最終的にハワイ州のRNナースのライセンスも取得しました。

私がアメリカで看護師になるまで - アメリカ生活ブログ

 

本当に人に恵まれて、ここまで来ている人生です。

 

国際結婚・高齢妊娠・海外出産と子育て

大学院在学中に、長く付き合っていたアメリカ人旦那さんと国際結婚。

現在、アメリカ生活17年目に入りました。

 

高齢出産でしたが、息子さんと娘さんという2人のベイビーにも恵まれました。

 

しかし、妊娠中は妊娠糖尿病や”肺炎”での入院など、高齢出産がために気をつけなければならないところも色々ありました。

 

アメリカで妊娠中の方で、妊娠糖尿病について知りたい方は、こちらからどうぞ。

【アメリカ高齢出産】妊娠糖尿病の検査と食事療法〜アメリカ編 - アメリカ生活ブログ

 

こちらは”肺炎”で入院した時のこと。

【アメリカ高齢出産】妊娠中に”肺炎”にかかる! - アメリカ生活ブログ

 

それでも、無事に元気に生まれてきてくれた子供たち。

こちら息子さん。生後1−2日。

f:id:EnjoyLife:20170520235506j:plain

 

娘さん。生後1−2日。

f:id:EnjoyLife:20170521000432j:plain

 

娘さんの出産の時の様子はこちらからどうぞ!

【アメリカ高齢出産】娘さん出産経験 - アメリカ生活ブログ

 

現在の状況

ペンシルバニア州のRNナースの資格を取得中。

しかし、またも TOEFL (Test of English as a Foreign Language) の壁に阻まれて、現在はピッツバーグ市内の小児科クリニックでメディカルアシスタントして働いています。

 

将来の夢

ペンシルバニア州でRNナースになってスポーツ医学の分野で働きたいと考えています。

 

また、私のもう一つの夢は、将来いつか、ノマドブロガーになって、自分の時間を全て自分が思うように使えるようになること。

 

家族で世界中を旅してまわり、美味しいものを頂いて、好きな写真を撮って過ごす。

他にも挑戦したいことがたくさんあるので、不労所得で生活していけるように日々試行錯誤の毎日です。

 

その夢を叶えるべく、現在お世話になっているオンラインサロンがこちら!

ブログ初心者にもブログエキスパートにもおすすめ!りゅうけんの人生逃げ切りサロンの魅力 - アメリカ生活ブログ

 

そのサロンのメンバーのゆうやさんにしていただいたコンサル記事はこちらから!

海外在住でもOK!ワカヤマだいありぃのゆうやさんのブログコンサルお勧めです! - アメリカ生活ブログ

 

私の人生、山あり谷ありで来ていますが、私はわりと幸せに生活しているなーと思うのです。

そんな私の経験が、どこかの誰かのお役に立ち、それで私も収入を得られるっという

Win Win の形ができるのが理想です。

 

長くなりましたが、読んでくださってありがとうございます。

今後ともどうぞよろしくお願い致します。

 


免責事項・Disclaimer

当ブログに連載している情報は、私自身の経験をもとに、より正確な情報をお届けするように心がけております。内容については、情報が古くなってしまったりすることもあります。

当ブログに掲載された情報を利用される場合は、ご自身の判断と責任においてそれらをご利用ください。当ブログの情報を利用することによって生じるいかなる損失・損害、トラブルについても当ブログの管理人は一切責任を負いかねます。予めご了承ください。

サイト内広告について

当サイトでは、第三者配信の広告サービス(Googleアドセンス、A8.net、Amazonアソシエイト、等)を利用しています。

これらの広告サービスは、ユーザーの興味に応じた商品やサービスの広告を表示するため、当サイトや他サイトへのアクセスに関する情報 『Cookie』(氏名、住所、メール アドレス、電話番号は含まれません) を使用することがあります。

しかし、このブログを読んでくださっているあなたが、Cookieを使われてしまうことに賛成できなければ、Cookieは無効にすることができ、これらの広告配信サービス業者による利用や収集を拒否することができます。

Cookie を無効にしたり等の管理は、お使いのブラウザによって設定できます。ブラウザでの Cookie の管理方法等については、以下のリンクが参考になります。

また、Googleアドセンスに関して、このプロセスの詳細やこのような情報が広告配信事業者に使用されないようにする方法については、Google ポリシーと規約の「広告」 のところに詳細が掲載されています。

広告 – ポリシーと規約 – Google

アクセス解析ツールについて

当サイトでは、Googleによるアクセス解析ツール「Googleアナリティクス」を利用しています。

このGoogleアナリティクスはトラフィックデータの収集のために『Cookie』を使用しています。このトラフィックデータは匿名で収集されており、個人を特定するものではありません。

この機能は、お使いのブラウザでCookieを無効にすることで収集を拒否することが出来ます。なお、この規約に関して、詳しくはここをクリックしてください。

Terms of Service | Google Analytics – Google