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看護学校で初めて受け持ちになった脊損の元高校球児の患者さん

私は高校(准看護婦の過程)を卒業した後は、すぐには働かずに正看護師資格を取るべく、さらに2年間、看護学校に通いました。

看護学校当時から、実際に看護婦になって働いている間に、ものすごい症例の患者さんや、キャラの濃い患者さん、困った患者さんなどいろいろな方がいました。

 

患者さんとの関わりの中で、疾患や看護について学ばせて頂いただけでなく、家族背景や患者さんの心理的な状況に触れることで、自分自身、考えさせられることが多々ありました。

 

その時のことを思い出して、書いていきたいと思います。

 

脊損の元高校球児

看護学校に入って最初の実習は整形外科のローテーションでした。

初めての実習で受け持ったのが、交通事故で頚椎損傷となり入院されていた元高校球児のSさんでした。とてもイケメンの方でした。

その当時、まだ20代前半だったSさんは既にご結婚されていて、2人の男の子がいらっしゃいました。奥さんもとても綺麗な方でした。

そしてお姉さんはなんとナース。

 

私が担当させていただいたのは、Sさんが急性期を乗り越えて、当時、脊髄損傷のリハビリではかなり名の知れていた、その病院に転院されてきて間もない頃でした。

まさにこれから、リハビリをして社会復帰を目指す最初の段階でした。

 

その時の病状

交通事故で脊髄の中でも頚椎(首)と言われる部位の5番と6番の骨折と神経のダメージで、胸から下が不随、指と腕はすこし動かせるっという状況でした。

意識ははっきりされていましたし、会話も問題なくできました。とても優しく穏やかな方で、学生の私の方が恐縮してしまうほど。

膀胱瘻(ぼうこうろう)を使っていらっしゃいました。

日常生活はその当時、全介護でした。

ただ、その病院では、病院が採用している介護士さんという人たちがいらっしゃって、患者さんの身の回りのお世話をされていました。

リハビリに行く際にはリクライニングの車椅子で移動でしたが、その際に頻繁に、起立性低血圧の症状を起こされてていて、大変そうでした。

タバコを嗜む方だったので、リハビリに行く前に休憩室で一服されるのを、唯一の楽しみにされていました。

 

看護・関わりの中で

看護学生だった私にとって、看護過程の展開は必須でしたので、情報収集・分析・計画・実行・評価(こんな感じだったはず?!もう変わっているかもしれないけれど、苦笑)を展開していくわけです。

Sさんの場合は、病状(頸損のため、社会復帰に向けてのリハビリ中)という問題のほかに、心理的なサポート・働きかけが必要というアドバイスを当時の担当ナースからもらいました。

・若くして脊損になったこと・またそれを受け入れていけるか?

・奥さんと幼い息子さんを支えていかなければという立場とプレッシャー

・自分の今後について(ご実家が自営業をされていた)

・リハビリでどこまで回復できるかっという不安と焦り

 

エリザベスキュプラーロスの”死の受容のプロセス”(この患者さんの場合は頸損という状況に対しての受容のプロセス)やマズロー欲求段階説などを参考にしながら、その時の状況にあった看護を展開していくというもの。

 

私は、彼のお父さんがお見舞いに来て時に居合わせたことがあるのですが、

その時にSさんが私に言った言葉。

”オヤジがね、また足が動くんじゃないかっていうんだよね。もう動かないって言っているんだけど、信じないんだよね。

ねぇ、看護婦さんの卵からも、オヤジにちゃんと言ってやって。”

ちょっと苦笑いを浮かべながら言ったSさんの顔がちょっと悲しくの見えた。

多分、Sさん自身がそうあって欲しいと願っていたであろうに。

 

その時の私には、その場で返せる言葉がありませんでした。

 

2週間の実習が終わって

実習の最終日、Sさんは”いろいろ良くしてもらってありがとう”っといってくださった。

私のような未熟なナースの卵でも、何か出来たことはあるのだろうか?っと私自身が疑問に思った。

 

その日の夕方、ナースステーションへの挨拶が終わって、更衣室に向かって同級生と向かって歩いていると、Sさんについている介護士さんが追いかけてくてくれた。

 

Sさんがすごく感謝しているから、これを渡したいっといってプレゼントを持ってきてくれたのでした。もちろん、学生の身なので、それを受け取ることなどは出来ませんでしたが、その気持ちがとても嬉しかったし、ちょっとはお役に立てたのかな?っとホッとした。

 

かれこれ20年以上。

小さかったお子さん達ももう成人されいる。

もし可能なら、その時のお礼が言いたいです。