アメリカ生活ブログ

アメリカ在住ママ🌙リノの海外留学・海外生活情報ブログ

転職でお悩みの看護師さんへ!ナースとしてキャリアアップを目指した私の経験談。

私は現在アメリカで、メディカルアシスタントとして働く傍ら、ペンシルバニア州の看護師(Registered Nurse、RN)の資格取得に向けて頑張っています。

ペンシルバニア州に来る前には、ハワイ州で看護師(RN)としてフルタイムで働いていました。

f:id:EnjoyLife:20180506150917p:plain

 

私は日本でも、看護師として、アメリカに留学する前に7年余、2つの病院で働いていました。

北の大地の地元にあった病院からキャリアアップを目指して大都会東京の某大学病院の救命救急センターへの転職に成功。アメリカに留学するまでの3年半、そちらで勤務しました。

 

 

当時、就活はとても大変でしたが、転職できたことにとても満足していますし、看護師として、救命救急センターで働いた経験があったので、アメリカでRNとして就職活動をする際にも役立ちました。

 

f:id:EnjoyLife:20180611100614j:plain

 

 

私はキャリアアップを目指して就活し、自分が働きたかった救命救急センターで働くという夢を叶えることができました。

そこで働いていた時に得た知識、技術、また一看護師として・人間として成長できたことは、その後の私の人生に多大な影響を与えてくれました。

 

現在、転職を考えている看護師さん達の転職理由は様々だと思います。

*キャリアアップを目指したい
*違う分野の看護を極めたい
*今の病院のお給料や待遇がよくないから
*職場での人間関係で悩んでいる
*人生の転機(結婚・妊娠・出産・育児・介護等の家族の状況の変化)

 

ここでは、私が転職した時のこと、また今、振り返ってみて思うこと(良くも悪くも)について書いいきたいと思います。

 

現在、転職について考えている、または悩んでいるっという看護師さん達に読んでもらえればっと思います。

 

 

 

 

本意ではなかった!?地元の病院への就職

看護学校在学中から、救命救急センターで働くっというのが私の目標でした。

 

その当時は、”救命病棟、密着24時!”っというような看護婦(当時、現在は看護師ですが)や救命医に密着したテレビのドキュメンタリー番組がたくさんあり、その影響もあったと思います。

 

”救命でバリバリ働いでいる自分” を想像するのが好きでした。(苦笑)

 

f:id:EnjoyLife:20180611095406j:plain

 

 

その当時の私は、救命は”看護師の花形”と思って疑いませんでした。

(今となると、いろんな形の看護師の花形があるとうことがわかるのですが。)

 

”私は、救命で働くんだ!”っとずっと心に決めていました。

 

しかし、私の意に反して、最初の就職先は、救命救急センターとは全くかけ離れた、北の大地の地元にある公立の病院でした。

私が小学校2年生から中学校まで過ごした町で、その当時の人口が約5、000人ほどの小さな町の病院でした。

新卒で看護師として就職し、そこで3年9ヶ月勤務しました。 

 

俗に言う ”お礼奉公” のためです。

私の家は、両親の離婚で母子家庭だったので、遠隔地にあった衛生看護科のある高校、またその上の看護学校への進学のために、地元の町から奨学金をもらっていたのです。

 

過疎化の進んでいた、地元としては若い看護師の確保のために奨学金を貸し出し、その代償として、”お礼奉公”ということで、地元にある病院で決められた期間、看護師として働いてもらうという条件を提示していました。

私のお礼奉公の期間は3年間でした。

   

理想と現実の差〜しかし学ぶことも多かったお礼奉公時代

その病院では、私は、高校・看護学校在学中から、看護助手・准看護師として夏・冬・春休みには、アルバイトとして働かせてもらっていたので、実際に看護師として就職する前から、その病院での看護業務について教えてもらえましたし、年が一番下っということで、婦長(師長)さんはじめ、先輩の看護婦さんやスタッフの方々には、とてもよくしてもらいました。

 

新卒で3年間も田舎の病院で働くなんて、、、っと、ちょっとふてくされている自分が全くなかったわけではありません。

その当時の私は、お礼奉公について、”救命で働く前の3年間のブランク”っと、ちょっとネガティブに考えていました。

 

しかし、実際に看護師として働き始めると、学生の時やアルバイトの時と違って、自分がするすべてのことに”責任”が付いて回る、という重圧にどう対応していくかっという大きな課題にぶち当たりました。

 

また、私が看護師として正採用になった当時、その病院には看護師は5人ほどしかいなく、圧倒的に年配の准看護師さんの数が多かった病院でした。

資格的には上の私でしたが、彼女たちの患者さんへの対応の仕方とか、技術とか、経験から来るものなのですが、本当に羨ましく、喉から出るほどそれらの技術が欲しかった私でした。

看護師として歩き出した私でしたが、資格だけあっても、知識・技術の面ではまだまだペーペー。

それが悔しくて、足りない知識を補うべく、たくさん勉強しましたし、技術の向上のために、点滴や処置、採血など、なるべくたくさんの数をこなすよう努力しました。

 

f:id:EnjoyLife:20180611084848j:plain

 

勤務体制

この病院は2交代制の勤務で、夜勤は2人の看護師で行っていました。

病院と契約している助手さんが、数名、付き添いが必要な患者さんのお部屋に、夜間一緒に泊まりをしてくれて、患者さんの介護を手伝ってくれました。

入院患者さんは、慢性疾患の方や高齢で、社会的入院をされている方が多く、病状としては比較的安定した患者さんが多い病院でした。

 

f:id:EnjoyLife:20180613151234j:plain

 

夜勤の際は、何もなければお布団の上で仮眠が取れました。

もちろん、急変や重篤な患者さんがいる場合、また救急搬送がある場合は、徹夜になるわけですが、、、、。

当初の”救命でバリバリ働く自分”のイメージからは、

かなりかけ離れていました。

しかし、新卒として就職したこの病院での経験はとても貴重でしたし、たくさん学ばせてもらいました。

 

しかし、救命で働きたい!という思いが断ち切れず、お礼奉公が終わった3年後あたりから救命救急センターへの転職を本格的に考えるようになりました。

 

私が転職したかった理由:キャリアアップ

私の転職の一番の理由は、”救命で働いてキャリアを積みたい”でした。

結構野心家だった私。

 

私の家族は、当時の私を振り返り、結婚などせずにバリバリと仕事をこなしていき、

”仕事に生きる感じだった”

っと言っていました。(苦笑)

 

f:id:EnjoyLife:20180611085106j:plain

 

救命センターで働くということは、当時の私の中では、”花形”でした。

”一刻を争う緊迫した状況下で、患者さんの命を救うために医師の介助をし、たくさんある医療機器を使いこなし、患者さんとそのご家族に看護を提供していく”

 

私、かっこいいナースに憧れていたんです!

 

また、”救命救急センターで働いた経験がある”っというのは、もしその職場から離れて転職したとしても、大きな財産であり、その後の転職に有利に働くということもありました。

 

就活は少しずつ始めていましたが、

”本当にできるのか?” っとか ”東京はちょっと危ないかも!?

っという思いもあったり、迷っていた時期でもありました。

しかし、私の決意を確固たるものにする出来事が起こります。

 

転機

その当時、私が働いていた病院の管轄内で、交通事故が発生。

19歳の若者が命を落としました。

 

f:id:EnjoyLife:20180611100837j:plain

 

亡くなられた患者さんの顔をみていて、思ったんですよね。

こんなに若くして亡くなるなんて。もっとできることがあったんじゃないか?っと。

 

それでも、その時はその時にできる精一杯の治療が行われたわけで。

もうどうしょうもなかったんですよね。

 

しかし、私の中では、

”救命センターだったら命、助かってたんじゃないか?”

っという思いが捨てきれませんでした。

救命に行こう!と決心した出来事の一つでした。

 

田舎ではいつでも働けるけど、救命は独身で体力のあるうちに行ったほうがいい。

”今行かなくちゃ、ずっと行けなくなる。”

そして、転活(転職のための活動)を本格的に始めたのでした。

 

困難を極めた転職活動

率直な感想。大変でした。

 

当時は現在のようにインターネットやスマホが発達していませんでした。

また、看護師専用の転職支援をしてくれるエージェントなんていうのも全くありませんでした。

 

 

ですから、全て自分で行動しなくてはなりませんでした。

 

就活〜北の大地編

最初は、北の大地で救命救急センターのある病院を調べる所から始まりました。

各病院名と電話番号を電話帳で確認したあと、電話をかけ、人事担当の人と採用条件の確認、お給料や手当、有給・病欠の有無、勤務形態、寮の有無、交通費の支給はあるか、採用試験と面接方法や履歴書の提出方法などを、一つ一つ質問していきます。

 

この携帯電話、見たことある人いるかな?!(苦笑)

f:id:EnjoyLife:20180611090049j:plain

 

時々、人事担当の人が不在の時があって、そんな時は後でかけ直すか、自分の勤務表とにらめっこして、いつ折り返しの電話をもらえるかの調節などを行いました。

 

履歴書の作成も、現在はパソコンのワードなど、テンプレートなどを使用して、簡単に作成できますが、当時は、文房具屋さんで買って来た紙の履歴書を一枚ずつ手書きしていました。

しかも!

途中で間違えたものなら、ホワイトアウトが使えないので、一から書き直し!!

 

これらを普段の勤務をこなす合間にするので、とても効率が悪かった。

無駄な時間だけがどんどん過ぎていき、”本当に救命救急センターで働けるの?” っと焦りを感じていた私でした。

 

2度目の転機

転職活動に憤りを感じていた私に、2度目の転機が訪れました!

それは、地元の消防士さんに誘われて行った、北の大地の札幌市で行われた熱傷学会でした。

そこに講師として東京の大学病院から来ていた先生(医師)の丁寧な対応に感激と衝撃を受けた私。

 

”こんな先生いるんだ!” っと。

 

学会に出席している消防士さんや他の医療従事者からの質問に対して、丁寧に穏やかな声で真摯に答えていくその医師の姿勢は、当時の私にとって、とても衝撃的でした。

 

f:id:EnjoyLife:20180613145421j:plain

 

”この先生の下で働きたい!”

 

そして、そこからの私の行動は早かった。(笑)

早速、履歴書を同大学の医事科に送り、面接のスケジュールを決まるため、再三電話攻撃。その甲斐あってか、面接にこぎつけることができ、上京。

面接後、1週間ほどして病院から、採用の連絡があり、晴れてその病院で働けることとなりました。

が、しかし、その時点では、配属先は決定しておらず、救命救急センターで働けるかどうかは不明のまま、地元の病院に退職届を出す。その年の12月末付で退職。

 

念願叶って、晴れて救命救急センターに配属!


東京の大学病院へ採用が決まって、年明け早々に上京した私。

大学病院近くの看護師寮に引っ越し、お正月休み明けが仕事初日。

 

f:id:EnjoyLife:20180611083705j:plain

 

朝、医事科の方に連れられて、看護部長室に出向くと、そこには、同日採用のナースがほかに2人! ちょっと心強かった。

 

看護部長室のソファーに座って看護部長が来るのをじっと待つ新採用の私たち。

彼女たちと雑談をしていて、全員が救命救急センターへの配属希望というのが発覚!

やっとここまで来たのに、やはりライバルが多いなーっと、ちょっと弱気になる私。

 

そこへ、看護部長登場!

 

看護部の概念や、ナースとしての振る舞い方、大学病院という組織について等のお話があった後、いよいよ配属先が言い渡されます。

そして、看護部長の、

”あなた、体力ありそうだから”っということで、

ただ単に太っていたから?!っという感、いっぱいですが、苦笑)

 

念願叶って、晴れて 救命救急センターの配属 となる!

 

転職活動をして約9ヶ月。そこまで来るには長い道のりでしたが、やっとスタートラインに立てた私。

 

もう一人のナースははCCUへ、もう一人は病棟へ(のちに救命救急センターに移動となり、一緒に勤務)配属となりました。

 

高度救命救急センター

私が転職した大学病院の高度救命救急センターは、東京の玄関口と言われる上野の近くにありました。

第3次救急医療(第2次救急医療では対応しきれない、一刻を争う重篤な患者さんを治療する)を提供する医療機関でした。

 

その当時、医師、看護師、その他医療スタッフを合わせると約100を超える大所帯。

年間の入室患者数はその当時、約1500人。その患者さんのほとんどが救急車で搬送されてきます。

 

f:id:EnjoyLife:20180611093909j:plain

 

手術件数も頻繁に行われ、患者さんの状況によっては、オペ室(手術室)まで行く時間がないので、そののまま開頭・開胸・開腹(手術)っというのも珍しくない状況でした。

 

f:id:EnjoyLife:20180611093253j:plain

 

正にドラマのコードブルーの世界。(苦笑) (映画が楽しみ!)

 

勤務当初は、先生方や看護師さん達の名前と顔が一致するまで、大変でした。(苦笑)

 

理想と現実のギャップ


救命救急センター科に配属されて最初の1ヶ月。

入退院の手続き、各種検査の準備・経過観察、手術の準備と介助、使ったことのない呼吸器やその他医療機器の説明、輸血・点滴の準備と介助、患者さんやご家族との関わり、など、今までと全く違う環境で、本当に沢山のことを学びました。

 

ここでは書ききれません。

 

それでも、自分が来たくてきた救命救急センター。私、頑張っていたと思います。

それでもやっぱりストレスはあったと思う。

 

働き始めて1ヶ月がたったころ、看護部長室で一緒だった、同日採用でCCU配属の看護婦さんと、ロッカーで偶然会いました。

そして最初に言われた言葉が、

 

”大丈夫ですか!?”  

 

最初の1ヶ月で8キロ減の私。

っということで心配してくださったのです。

 

”救命センターって大変なんですね。” っと。

 

私としては、体重減少の原因は、3交代勤務に慣れていなかったのがのが大きな原因かと思います。(苦笑)

あとは自分が出来ないこと、知らないことへの不甲斐なさとストレス、そして大都会東京での慣れない生活にもちょっと疲れを感じていた頃でした。

自分が目指すカッコイイ看護師像には、ちょっとほど遠い、救命での最初の1ヵ月でした。

 

救命センターでの看護師の教育

新人研修とオリエンテーション 

私は中途採用という扱いでしたので、大学病院全体に行われる新人研修というのはありませんでした。

その代わりに、病棟の婦長(師長)さんに、病院のシステムと救命救急センターについてのオリエンテーションをしてもらいました。

また、新しく就職してきた看護師には、それぞれ専属でプリセプターが付いてくれて、マンツーマンで、そのナースが私が独り立ちできるまで見てくれました。

(勿論、独り立ちしてからも、ことある毎に相談に乗ってもらっていました。)

 

また、病棟で独自に行っている各種勉強会への参加もありました。

勉強会の内容は様々で、日々の業務の中で最低限必要な知識と技術を習得するのが目的です。

*救命センターに搬送されてくる患者さんに多い疾患・外傷とその病態生理、

*各種医療機器の使い方とトラブルシューティング

*各種手術の準備と術後の管理、

*看護チャートの記録の方法、

*低体温療法とその看護、

*熱傷や中毒患者さんへの処置と看護、

*心肺蘇生法、

*薬について、

*輸血・輸液の管理、、、本当に多岐にわたっていました。

 

f:id:EnjoyLife:20180611095523j:plain

 

経験豊富な先輩看護師さんが作成した資料をもとに、学習していきました。

 

基礎的な質問にも丁寧に答えてもらうことができ、また、勉強会は私にとって他の看護師さんとのよいコミュニケーションの場でもあったので、転職してきたばかりの私にとってはとてもありがたいものでした。

 

プリセプティとプリセプター

いちナースとして、日常業務を一人でこなせるようになるまで、プリセプターさんについてもらいながら勤務しました。

 

新規採用の私はプリセプティ。

中途採用の私のプリセプターさんは師長さんが決めました。

 

私の担当になったプリセプターさんは、仕事中はとても厳しい指導者(ほんと半端ない)で、コードブルーの冴島さんぽかったですが、患者さんのための看護を提供することに徹底していた、患者さん思いのナースでしたので、尊敬してついていくことができました。

 

また、彼女は、ものをハッキリいう人だったので、私にはとても助かりました。

看護師の世界は、女性が多い職場というのもあってか、ネチネチしている所があり、陰口はいっても、本人に面と向かって注意をするっというのはあまりなかったりするのです、

私としては、何が悪いのかわかれば治しようがあるし、そのための勉強や技術の習得ができるので、このものをハッキリいうプリセプターさんで本当に良かったです。

 

センター内では、プリセプターさんとプリセプティがうまく合わない場合があったり、プリセプター制度には賛否両論がありますが、私にとってはとても良かったです。

 

リーダーナース研修

スタッフナースとして、一通り業務を一人で遂行することができるようになって(独り立ち)しばらくすると、今度はリーダーナースとしての指導を受けました。

リーダーナースの指導を受ける時期は様々です。

私の場合は、中途採用ということもあり、就職して半年経った頃でしたが、普通は3年目になってから始まるということでした。

 

リーダーナースというのは、それぞれの勤務のシフト(3交代の勤務の場合、日勤、準夜勤、深夜勤)で、そのシフトで勤務するナース達の患者さんの担当を決めたり、そのシフトで働いている全てのナースが患者さんへの治療と看護がスムースに行えているかをチェックする役割があります。

 

またそれに加えて、入室(救急患者さんが搬送されてきた時)の初期治療の介助、緊急手術や処置の準備と介助、etc,,, 

いわばそのシフトの総監督という役割です。

リーダーナースとして独り立ちするまでには、専属のプリセプターさんはいませんが、各シフトに、必ず経験豊富なナースを師長さんが配置してくれるので、その先輩ナースから相談・アドバイスを受けます。

 

f:id:EnjoyLife:20180611082849j:plain

 

そして自分がプリセプターに!

リーダーナースとしての研修が終わり、リーダーとして独り立ちすると、今度は、自分がプリセプターとして、新人看護師さんの指導にあたります。

 

これは、とても大変でした。

 

新人ナースがスムーズに業務に慣れることができるか? 

他のスタッフとうまくいっているか? 

など、看護師としての知識や技術だけではなく、他のことにも気を配らなければならなかったので。

初めてプリセプターになるときには、プリセプターにも相談役がつき、プリセプター自身も指導をする中で学んでいきます。

 

私は中途採用だったので、新卒のナースだと、5−6年かかってすることを2−3年余でこなしていかなければならなかったので、とーても濃い救命センターでの3年半でした。

 

救命救急センターナースの休日

 

救命救急センターでの勤務の採用条件の一つとして、お休みは、4週8休でした。

しかし、土日や祭日にお休みをと取れるのはまれ。

また、研修などが自分のお休みと重なったりして、お休みの日に出勤(っといってもお給料は出ません)することもありました。

有給は使う機会がやはり限られていたので、結構溜まっていましたが、休日を同僚の看護師さんと合わせて一緒に小旅行に出掛けたり、夜勤明けに、ご飯に行ったりというのはできる限りしていました。楽しかった!

 

f:id:EnjoyLife:20180611094620j:plain

 

また、看護・医療の世界だけには止まりたくなかったので、夜勤明けを利用して、英語のサークルに通ったり、気になる美術館に行ったり、など、プライベートではなるべく仕事と関係のない所に行くようにしていました。

 

救命救急センターナースのお給料

北の大地でのお給料と比べると、格段に上がりました。

福沢諭吉さんのお顔を見るのが増えました。(笑)

 

f:id:EnjoyLife:20180611095130j:plain

 

業務内容もその分、濃かったですが、、、、。(苦笑)

また、時間外勤務は申告制でしたが、それはちょっと申告しずらかったです。

っというのも、仕事が終わらないのは、自分の仕事が遅いから?それとも業務が多いから?っという疑問が自分のなかで常にあったので。

 

判断に困る所です。(苦笑)

 

ただ言えるのは、多くの看護師さんはよっぽどのことがない限り、時間外の申告はしていませんでしたね。

 

この辺りは、まだまだ看護師さんの地位向上と権利の拡大が必要かと思われます。

 

で、キャリアアップ、できた?


結論から言うと、Yes!

私が看護学校で習った、看護師に大切なこと3つのこと。

 

知識・技術・態度 

 

この全てにおいて、向上することができたと思います。

 

*北の大地の病院にいた時には見ることもなかった、呼吸器、透析機、その他医療機器の使い方がわかり、使えるようになった。

*CCUの看護婦さんにはかないませんが、心電図もかなり読めるようになった。

*救命センターに運ばれてくる患者さんの病状も様々なので、その病態、検査項目、処置や手術、熱傷・骨折、心肺停止、低体温療法の管理、各病状に合った観察項目と看護・ケアの提供、輸液・輸血の管理、などの習得

*病棟でそのまま頭開けたり、胸やお腹を開けるということに、動じずに、その緊急手術の準備と介助ができるようになった

*転職当初によく感じていた、オドオド感は少なくなって、それが自信になっていった

*担当の先生達に上申(今でもこういうのかな?!)する最に自信を持って言えた

*自分がシフトナース・プリセプターになり、後輩に指導するようになってみて、物ごとを、客観的に大きなビジョンで見れるようになった

*いろいろな背景の患者さんを見る機会を得て、世の中に起こっていること、こんなこともあるのか?!っと自分の常識を超えるようなことをする患者さんがいたりと、人生経験を豊富にさせてもらった

 

f:id:EnjoyLife:20180611093444j:plain

 

救命救急センターでの経験は、アメリカでナースとして就職するときにも役立った。アメリカのボス曰く、日本とアメリカで国が違っても、ERで働いたことがあるとう経験は大きいそうです。

 

おまけ

*当時、大人気のドラマ、救命病棟24時のキャスト、江口洋介さん、松嶋菜々子さん、沢村一樹さんが救命救急センターに見学に来た時に会えた!江口さんは、とても気さくな方で、同僚と皆んなで一緒に写真もとってもらいました!

 

自分の転職経験から思うこと・アドバイス

チェレンジしたい看護・医療の分野があったら迷わずやってみよう!

看護・医療は日々進化していますし、看護一つにとっても、その専門性を追求するための資格や研修などを受けることができます。

 

また、好きな分野を勉強することは自分の意欲も湧きますし、それが患者さんに提供するケアにも良い結果をもたらすことでしょう!

 

諦めず、前に進むことです!

 

やってみて、もしダメだったら?!っと先回りしてしまう看護師さんもいると思います。もし、そんな状況が来たら、また転職すればいいだけなので、心配はいらないと私は思います。

ダメかどうかっというのはやってみないとわからないわけで、たとえ結果が自分が思っていたように行かなくても、それをやったっという経験が大事なのです。

 

やってみたからわかるんです!

 

私たちの看護師免許は、全国共通で規則・法律に違反したことをしなければ一生使える資格なのだっということを忘れないでください。

 

看護師の転職をサポートしてくれるエージェントを使おう!

先に書いたように、通常の業務をこなしながらの転職活動は独身であった私でも大変でした。

一つ一つの病院に連絡を入れて、採用条件を聞いたり、面接日の設定、書類の手続き等、やることが沢山あります。

現在は、その手間がかかる部分を、看護師転職専用のエージェントが全てやってくれますので、時間の節約と、ストレスを最小限にと止めることができます。

 

 

私自身は、交渉が苦手なので、それを代行してくれるエージェントさんがいるというのは、心強いです。

”こんなこと聞いたら、嫌がられるかな?” とか

”たくさん質問があるから、それで採用されなかったらどうしよう!” とか、

当時は、くよくよと考えていたものです。

 

また、エージェントはたくさんの病院の情報を持っていますし、コネクションも多いのも魅力です。

 

 今、私が転職するとしたら、迷わず看護師専用の転職エージェントを使います!

(早く、ペンシルバニア州のRNの免許を取れるように頑張らねば!)

無駄な時間と労力の節約ができるのは本当に嬉しい。

 

 

既存のルールに囚われずに! 自由に!

私は古い世代の人なので、”石の上にも3年”っということわざが示すように、日本の病院ではどちらも3年以上働いてから転職・留学しました。

人それぞれ違う考え方があるので、私の行動に賛成してくださる方もいると思うし、違う考えの人もいると思うのです。

いろんな意見があるというのは、議論が活発化し、とても良いことだと私は思います。

 

転職を考えていらっしゃる看護師さんのそれぞれの立場は、色々と思いますが、看護師の資格を持っているということは、あなたに選択権があるということを忘れないでもらいたいです。

最近では、病院に就職するというのが看護師の唯一の選択肢っということではなくなってきています。パートで働くもよし、自分で開業するもよし、看護婦として臨床で働くだけではなく、研究や教育の場で働くという選択肢もあります。

 

既存のルールに囚われずに、自分が思う看護を!自分が思う看護師に!